桃井かおりについて

独特の雰囲気と還暦を越えているとは思えない美しさで、ほかに類を見ない女優として長く人気を得ている女優、桃井かおりさん。演技も個性的で、おしゃべりもウイットに富んでいて、とっても素敵な女性だと思います。その活躍の場はハリウッドにまで広がっていて、まさに日本を代表する女優の一人と言える人物です。

プロフィール

1951年4月8日生まれ。東京都世田谷区出身。本籍地は長野県佐久市。フランス共和国のボージョレーワイン委員会とフランス食s品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョーレー騎士の称号を持っています。父は国際政治学者の桃井真、母・悦子はアトリエを構える芸術家という裕福な家庭に生まれました。4人兄弟の3番目であり、上の兄は脚本家の桃井章で、2番目の兄は科学者、弟は銀行員です。また、母方の従姉に女優で人形作家の結城美栄子がいます。3歳からクラシックバレエを始め、中学の時にイギリスのロイヤルバレエアカデミーに単身留学しました。しかし、現実の厳しさを知って挫折。桃井はこの時のことを振り返り「同じ年くらいの白人の子たちと並ぶと、自分が“みにくいアヒルの子”という感じ。自分を醜いと思わざるを得なかった」と語っています。帰国後、女子美術大学付属高等学校・中学校へ入学します。同校在学中は東京バレエ団に所属していましたが、卒業と同時にバレエを辞めて、両親に内緒で演劇を目指し文学座付属演劇研究所第11期生に研究生として入所します。

女優デビュー

1971年に市川崑監督の映画「愛ふたたび」で、浅丘ルリ子の妹役を演じスクリーンデビューを飾ります。さらに同年には非商業主義的な芸術作品を製作する映画会社「日本アート・シアター・ギルド」による映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」(田原総一朗監督)にてヒロインを演じ、本格的な女優デビューを果たしました。しかし、「あらかじめ失われた恋人たちよ」の出演が両親に知られ、父に勘当を言い渡されてしまいます。そのため家を出て、羽田から広島県江田島に行き、地元の飲食店で住み込みで働き始めます。4ヶ月後、「かおり許す、父」という新聞に載った父の伝言を目にして家に戻ることはできましたが、元の生活には戻れないと判断し、再び女優としての活動を始めます。1972年に文学座を離れ、「赤い鳥逃げた?」で女優復帰しますが、22歳の時に撮影現場で腹部に違和感を覚え、歩くのも困難になり、帰り道の山道で倒れてしまいます。幸い通りかかったトラックの運転手に発見され、一命は取り留めましたが、その後の検査で腎臓結核であることが分かり、片方の腎臓を摘出する手術を受けました。その後無事に回復し、萩原健一の強い要望でドラマ「傷だらけの天使」の第14話「母のない子に浜千鳥を」へのゲスト出演で復帰を果たしました。

ブレイク

1975年、倉本聰の脚本による日本テレビ系列「前略おふくろ様」の海役が当たり役となりお茶の間でブレイクしました。また、1977年公開の「幸福の黄色いハンカチ」では、それまで過激な役が多かった桃井の新たな一面を引き出した作品として高評価され、第1回日本アカデミー賞助演女優賞、ブルーリボン賞などを受賞し、実力・人気ともに日本のトップを行く女優となりました。1979年には映画「もう頬づえはつかない」で映画初主演を果たしました。1981年、突然単身でニューヨークへと渡ります。帰国後はメディアから距離を置いて生活していましたが、脚本家の早坂暁が桃井の元を訪れ、「花へんろ」の主役を打診されたことで本格的に復帰しました。2004年に父親が他界。父の死を乗り越えるために、もっと辛い状況に身を置くことを決意し、ハリウッド映画のオーディションを次々に受けます。2005年に「SAYURI」でハリウッド映画初出演を果たし、翌2006年にアメリカ合衆国映画俳優組合に加入しました。2006年には「無花果の顔」で初めて映画監督を務めました。2008年にはそれまでの功績が認められ、紫綬褒章が授与されました。近年は女優業に留まらず、ジュエリーデザイン、雑誌創刊など、活動の幅を広げています。

人物

倦怠感のある独特なしゃべり方をするため、清水ミチコや椿鬼奴などお笑い芸人のものまねのネタにされることが多々あります。フジテレビ系バラエティ番組「笑う犬」では、「ミル姉さん」という桃井をモデルとしたコントがあり、実際に共演も果たしています。非常に肌がきれいなことでも有名で、雑誌やテレビなど多数の化粧品のCMなどにも出演しています。また、1日に約100本のたばこを吸うヘビースモーカーであることでも知られていて、自身がデザインしたジッポーも製作されています。厳格で教育熱心な父が、喫煙に関しては寛大だったことに疑問を感じ、「どうしてタバコを吸っても何も言わないんですか?」と紙に書いて渡したところ、「タバコを吸うようになってからよく歯を磨くようになったと聞いております。それはそれでいいんじゃないですか」と紙に書いて返してきたのだそうです。また、「あらかじめ失われた恋人たちよ」への出演がばれた際には父親から勘当されていますが、それが知れたのは母が、訪れた美容室に置かれていた雑誌をみたことがきっかけでした。桃井がバレエを続けているものと思っていた母は、映画でヌードになった桃井の写真をみてその場で卒倒したそうです。自身の演技については「私にとって演じるとは、毒を吐くこと」と語っています。妥協を許さない性格で、仕事に厳しいため、たびたび共演者やスタッフと衝突していたそうです。過去に「自己中心的で生意気」とマスコミに叩かれたことが何度かありますが、桃井は「スタッフに好かれるために仕事してるわけじゃないから」と一蹴しています。尊敬する俳優としてはデビュー当初共演する機会の多かった萩原健一を挙げています。また、女優としての価値観を変えてくれた人物にはイッセー尾形の名前を挙げています。芸能界では歌手の松任谷由実とお互い親友と言いあうほど仲がいいそうです。また映画「男はつらいよ」で共演した後藤久美子のことを娘のような存在として可愛がっています。後藤久美子に対し「わがまま女優」というバッシングがされた際には「彼女はわがままなんじゃなく素直な子なの」と擁護しています。また、俳優の松田優作は文学座の1期後輩で、桃井が失恋して泣いているときに松田がしつこく絡んできたのが初対面だったそうです。一切妥協を許さない桃井は、松田とも衝突することも少なくありませんでした。ドラマで共演することになった際には、映画にこだわりを持ちドラマを適当にやろうとしているように映った松田に、「ドラマをなめんじゃないわよ!映画でもドラマでも真剣にやんなさいよ!」と一喝したこともあったそうです。松田が亡くなった際には、彼は伝説的な存在になると確信し、「これで自分が死んでも伝説になることはない。なら、長生きしてやる」と奮起したそうです。

受賞歴

日本アカデミー賞

  • 1978年「幸福の黄色いハンカチ」助演女優賞
  • 1979年「神様のくれた赤ん坊」「もう頬づえはつかない」主演女優賞

ブルーリボン賞

  • 1977年 助演女優賞
  • 1979年、1988年、1997年 主演女優賞

キネマ旬報賞

  • 1977年 助演女優賞
  • 1979年、1988年、1997年 主演女優賞

毎日映画コンクール

  • 1979年 女優演技賞
  • 1997年 女優主演賞

芸術選奨新人賞

  • 1980年 映画部門

報知映画賞

  • 1982年「疑惑」主演女優賞

ウラジオストック国際映画祭

  • 2007年「無花果の顔」最優秀監督賞
  • 2007年「無花果の顔」最優秀主演女優賞

フライング・ブルーム国際女性映画祭

  • 2007年「無花果の顔」FIPRESCI賞

第21回フリブール国際映画祭

  • 2007年「無花果の顔」長編コンペティション部門特別賞

第57回ベルリン国際映画祭

  • 2007年「無花果の顔」NETPAC賞

紫綬褒章

  • 2008年 芸術文化部門

作品

著書

  • 1981年「しあわせづくり」
  • 1982年「うつむきかげん」
  • 1985年「ひとり身ポッチ」
  • 1986年「卵を抱えて」
  • 1993年「まどわく」
  • 1999年「賢いオッパイ」
  • 2004年「夢チャンネル」

雑誌

  • 2004年「時刊MOMOIKAORI」

ディスコグラフィー

シングル

  • 1973年「六本木心中/やさしい女」
  • 1977年「ついてはいけません/蜃気楼のように」
  • 1978年「嫌なこと言われたの/昔のことなんか」
  • 1978年「ブスの唄(ブルース)/傷心-こいごころ-」
  • 1978年「お喋りやめて/夢」
  • 1978年「かげろうの夜-1/かげろうの夜-2」
  • 1978年「少女時代/街」
  • 1979年「尻軽女(アバズレ)ブルース/忘れたいことは」
  • 1981年「バイバイ子守唄(ララバイ)/POKER GAME BLUES」
  • 1981年「メイク23秒/東京慕情」
  • 1982年「口説いてくれて/○あぬきいじょう物語」
  • 1982年「ねじれたハートで/シングル・ナイト」
  • 1984年「RENAISSANCE・再生/You Are My 美人Shine」
  • 1985年「星港(シンガポール)ローズ/きまぐれ」
  • 1991年「DAY BY DAY 女・美しく生きてください/友情・美しく生きて下さい」
  • 1993年「横浜 Lady Blues/ジュリアに傷心(ハートブレイク
  • 1994年「予感/恋のバッドチューニング」

アルバム

  • 1977年「ONE」
  • 1978年「TWO」
  • 1978年「KAORI MOMOI LIVE-恋・女ひとり-」
  • 1979年「WATASHI」
  • 1979年「しーんと淋しいネ・・・」
  • 1979年「KAORI MOMOI CONCERT」
  • 1980年「FOUR」
  • 1981年「FIVE」
  • 1982年「おもしろ遊戯」
  • 1982年「SHOW?」
  • 1984年「愛のエッセイ」
  • 1986年「KAORI SINGS THE LADY」
  • 1993年「More Standard」
  • 1994年「モダンダード」